
こどもたち、っていうとteenには合わない気がするし、学生と書くと自宅学習や働いている場合はどうなんだ、と思って、ちょっと古くさい表現ですが「わかもの」と表記しました。
次世代、とかもなんか違う気がしたので。
中学生主導のトークイベント
来週、はっちで開催されるらしいイベント。
「中学生の中学生による学生のための」令和新教育論ですよ?!
型通りのおとなの教育論講演では、新情報(~知らなかったので知れてよかった、の感想が出るようなこと)以外に学びがないからでしょうか。
もちろんこども主導が全て正しい、素敵!というわけではなく、なにかを「想いのまま」にやりたいとき、その後ろでいろんなところと折衝・調整するおとなたちが存在しているでしょう。
だから、学生主導という以前に、「おとながおとなたる所以」は、わかものたちがやりたいことをやれる(夢を持てる)環境を作ったり、(社会を知っていることをマウンティングするのではなくそれを活かして)調整したり、サポートすることだと思うのです。
もちろん、「社会の厳しさ」を知るべきだ、という人たちのことばも一理あります。会場を断られるとか、スケジュール管理でグダグダになるとか、そういう失敗は「実体験」して学ぶものがあるでしょう。社会はみんないい人ばかりではないですしね。
ただ、主導でやることへの偏見や「前例がないんで」とか、批判に走るおとなたちがいれば、もう時代は進んでいますよ?おとなたちはこのままでいいんでしょうか?と問いかけたいです。
本質に気づいていないのは大人なのに、指示されても聞けません
わたしは上記のイベントは道でちらしをみただけで、全く関わりがありませんが、面白そうだなと思ったので寄ってみようと思っています。
ラッキーなことにわたしのまわりには、こういうものを批判ではなく「面白がる」方たちがおおいです。それは不登校云々関係なく、です。
ただ「学校という枠」から抜け出すことで「面白がれる」環境になっているというのもあります。
学校に存在している間はやはりそこに親も子も順応しないと生きていけません。
だから、学校生活の求める「正解」を追うことが必要になってくる。校則とか成績とか。
大人は転職できますが、こどもはそこが自分に合わなくても動けない。(正確には転校とかできても、小1のころに居場所を選択できるということを明確に情報として理解しているかどうかは親によるし、自分たちが子供だった頃を考えても、そこしか世界はないと思っていると思います)
本来こどもの頃って、「本質」が見えていると思っています。
それが大人になるにつれて、本音と建て前、社会性と、社会で生きていくための手段を身につけていく。それはそれで正しいと思うのですが、ただ「本質を忘れる」こととは違うと思うのです。
社会で生きていくための「建て前」「正解」。
それは本質がなければ、なんの意味もなさない薄っぺらい正解だと思います。
こどもたちは、建て前が建て前だと気付いていても、本質を理解している「先生」や「大人」のことばはききますが、「建て前」オンリーの人のことばは判別できます。
大人側が「いうことを聞かない」とこどもたちを批判するとき、それはその大人本人が、「自分は本質を理解していない人間ですよ」と暴露しているようなものだと思うのです。
おとなが追いつけないくらいこどもたちは成長しています。大人は抑えつけるのが役割ですか?
まだミーティング段階ですが、昨日若い世代とお話しする機会がありました。
たぶんわたしたちは、行政・学校の「正解」から言うと「変なこと」「突飛なこと」を発信・イベントしているように見えるのかもしれません。会話をすると、相手の顔が(・・? になっているのはよく遭遇します。
そういう人たちが「支援」「教育」しなくては!と躍起になっている若者たちと、同じ内容を会話すると
「それな!」「だよね!」「わかる!」
と共感の嵐なだけではなく、論理的なアイディアもたくさん持っています。
意見の言語化もプレゼンテーションも上手です。
(これはもちろん表にでるタイプの子もそうですが、引きこもっていても文章や意見を言語化し、社会と照らし合わせて考えれる子は多いです。引きこもっているのは学校以外の適切な場所がないからだけ。)
大人世代、意見が言えない。
もしくは自分の意見がわからない。
多いですよね。結構な地位のある人でも。
正解、を見つけることが大事で自分のあたまで考えていない。
こどもたちがどんどん成長して越えていくのを、手に余るからルールなどで抑えつけたり、拒否したりするのが大人なのか。
社会が厳しいものならば、大人が大人たる責任を持って、プライドを持っていなくてはならないのではないかと最近思います。
そして新しい若者たちの動きを「学ぶ」ことで、大人も「成長」できる。
学校が同年齢でしか学べないことを、学校外でこどもの時期から「異年齢」で学べる。
学校行かないこと=不登校を推奨しているのではなく、学校をふくめた地域で学べる、そんなことを目指してきていて、やっとそんな社会になってきたなと思っています。
毎日学校行かない=不登校、ってなってしまうから、多くの子は「不登校」ってカテゴリ付されてしまうけど、今日は~さんの畑、今日は学校で留学したいから英語の授業受けて来るわ、明日は伝統工芸の~さんに弟子入り、とか「地域全体が学校」が支援として問題視して、実際に対応しなければならない総数はずっと減るはずなんです。
だから、もうほんとに予算をいただけたら、合理的・効率的にできるのに、といつも、しがない弱小団体は思っています(笑)