不登校・引きこもり対策のターゲットはおとなであるべき理由

不登校スキル

助成金にしても、やりたいこと書く側と主体が別、というのがこども関連の課題で難しいところです。

一生懸命計画したところで、ちゃんと世界を見れて、予測できて、ビジネスセンスがある人だとしても、こどもたちに本当に必要なことを提供できるかたちになっているんだろうか、といつも不安に思います。

おとなの自己満足や、変わったつもりになっている現状にはしたくないのです。
結果気持ちの中は変わっていないのに、学校に復帰しました!という数だけを成果として捉えるとか、引きこもりになりませんでした!ということ成果として捉えるとか。

もしかしたら表面上は、復帰していてもトラウマや不安障害、その他で「本人だけが苦しんでいる」ことが多いのではないかと思います。それはどこかの相談機関の数字には出てこないし、相談さえ行かなければ、そして不登校が発端ということがわからなければ、一生「自分が弱いからだ」とか「敏感すぎる自分がいけない」と思い続けていく可能性もあります。



全てをこども発信にすればいいかというと、それはまた違う

こども主体の、こどもが考える教育、そういう流れになっているけれど、全て「ありのまま」にというのはまた違う。
ありのまま、は存在を否定しないというだけの意味であって、こどもの意見は全てそのまま進めてみよう!大人は協力しよう!というような最近のノリは共感しない。

おとなは、それがブラックな社会だろうが、建て前だらけの社会だろうが、一応社会を通ってきたものとしての責任があるはず。もちろん、強制的に教え込むのは学校と同じになってしまうから、それは違うけど、先を見据えて、道をも模索して、見守る。

「責任と自由はワンセット」ということで、自由にさせるかわりに問題解決も自分たちでさせる動きが増えてきた。社会経験としてそれは良い。が、おとなの方のさじ加減というか、社会において、「こどもはこどもである権利」もあるわけで、自由な選択をさせたのだから責任もちゃんと背負いなさいの丸投げはいけない。

どこまでが、自主性なのか、どこからが「人生の先輩=おとな」が処理することなのか、その辺を見極められるおとなが少なすぎることは、いくら多様な学びや、いろんなコミュニティ、活動がでてきていても、ほんとに「こどもに必要なことが届けられているのか」ということと、継続の面で問題だと思っています。

不登校対策などで、キーとなるのはこどもをどうにかしようとする施策ではなく「おとな」の問題

そうすると、その見極めを正しくできる「おとな」が増えることが大事な気がしています。
おとなが「知る・学ぶ」を越えずして、こどもに何を教えることができるのでしょう。学校のなかだけではない学びを、今おとなが学ばないと、こどもたちの環境は変えられないと思っています。

・多様な学びってなにかわかりますか?
・されていやなことがわかりますか?
・どれが励ましで、どれが余計な言葉かわかりますか?

全ての物事が経験者、当事者で動くわけではないので100%の理解は無理でしょう。
関わらないならそのままでよいでしょう。でも、関わるお仕事なら、もしくは関わる活動をするなら、
まず「おとなが学ぶ」。そこを飛び越しての「支援」は「助けてあげている」という上から目線の行動でしかありません。
どこの分野でも、支援には一定の割合「やってあげている自分が好きな人」っています。

でも対象がこどもの場合は、そこをすぐに見抜かれるし、おとなのように空気を読んでもち上げてはくれません。
本来「支援」「サポート」してあげたい対象であるこどもたちに、気を使ってもらったり我慢をしてもらう。
おとなとして恥ずかしくないですか?

なので、まずこういった対策の根本的解決に一番近いのは「おとながちゃんと学んで大人になること」だと最近は思っています。
適応教室にも、フリースクールにも行きたがらない…。
こどもがほんとは一番先に正解に辿りついているからなのではないかなと思います。



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